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ゴジラーマガジンVOL3 『クルクルマピコ・ミステリー』〜少年期〜 〜マピコラグビーを語るならカタリナ島! これで謎が解けるゾウ…さんの長い鼻〜
さあ、信仰住宅地町田の町へお引っ越し・・・ 駅前通りのマッチ売りの少年が言う。人生には二つの生き方がある。「まっすぐ生きる」か「クルクル生きる」かどっちかだ。近道も地下道もないん団子姉弟ソピコとマピコ。貧乏でベンツもベンザも持てないロウソク1本火事のもと、愛読したのはシサマ・イドガナ著(逆で読むと・・)『人生ビンボーだ』。光化学スモッグの喘息(ぜんそく)をわずらい病院通い(ホントだよ、かわいそう、ああ。かわいそう、かわうそ、ほんとだよ)。病弱マピコは一家で、緑もあり、台風で川が氾濫したH2O空気のさわやかな東京郊外、当時『怪傑ライオン丸』の撮影ロケ地の東京都下町田市(ポケモンも舞台らしい)に移住。当時はあの娘がライバル「東急」か「小田急」か「幻の右」か「炎の左」かで新宿から小田急線(町田の駅は新原町田だった)で29分の歌い文句の都心から離れドーナツ現象というどーなっつてんの?幼年期マピコ。奇しくも後のゴジラ・チームカロリーメイトの世田ヶ谷番長・小池チョンゲリオヤジと町田の不良・コビー脳震とう小僧のホームベースでもあるあっちはなんだ? ああ町田。鼻水たれ、蚊に刺されたらムヒ(マヒマヒはハワイの魚)を使った感受性豊かなマピコ3才の時である。カレライスが大好物。(ゴレンジャーの黄レンジャーの好物でもある)今でも毎週食べてるよん。でもライスカレーとの違いは分からない。(中村雅敏主演のドラマ「ライスカレー」があった)カレーが多いとカレーハウス? ライスが多いとライスカレー? 高級なイスが回るとロールスルイス? セントルイス? わカレても好きな人? 昭和カレすすき? 当時一番恐かった映画は『エクソシスト』。えっ、クソすると、きゃー! 好きな犬はクレオパトラッシュ。ここ掘れワンワン、ワンちゃん一本足フラメンコ打法。紅茶キノコに心は魔法使いサスケ猫はいだらけ。でも町田は極道国道16号線や246号線の暴走族(昔は雷族)が多かった。うるさくないか? うるせいだろ? うるせんだよ! もっと騒げ! 騒げ! 心行くまで騒げ!
野球は不合格・・さぁ!どうするマピコ?・・・ 「コーチこれなら絶対勝ちますよ…エヘヘ…」のエヘヘがバシ!キャー!になってしまったのは言うまでもナイチンゲール。野球とはオサラバ、テリー・サバラス。ちょっと失楽園。万里の長城は遠すぎた橋幸夫。野球にもイレギュラー・バウンドは存在したと悟ったちょっと待った!歴史的ジャスト・モーメント。人生の腹話術。細胞具009。野球は独りでは勝てねえぞ。体の小さい弱虫マピコ。(マピコは3月26日の早生まれ。ちなみに故ジャンボ鶴田は3月25日生まれ)。日本列島、劣等感の片栗粉だった。「俺はホームランを打つために生まれてきたのではない!」「後楽園球場でホームランボール取るためにうまれてきたのでもない!」読売ジャイアンツ、プロ野球への道は絶たれた。しかしガキンチョ・チームは体のでかいエースで4番独りで勝てる。矛盾、矛盾、風吹ジュン。夏でも暑い長そで長ズボン。イッヤ?ん。それにスポーツがりに髪を短く切るのが異常に嫌がったマセテたマピコ。ちょうど長髪の挑発が流行った時代だったのだ。
長嶋・王のホームランは長期的に続いた・・
JANET LYNN (米国) フィギュアスケート
ジャネット・リン:1972年冬季オリンピック札幌大会、女子フィギュアスケートの銅メダリスト。決勝戦競技中の転倒に屈することなく、愛くるしい笑顔で最後までベストを尽くした18歳の少女は、金メダリストよりも多くの拍手を浴びた。(現在は肥満デブという噂あり)
正式名称は「ひなげしの花」 正式名称は「恋のダイアル6700」